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TPP について考える1

 東北を襲った大震災に際して、東北の被災者が見せた姿は、世界中の人たちを驚かせました。救援物資がなかなか届かず、飢えと寒さに苦しめられる中でも、自分のこと以上に他の人たちのことを気遣い、略奪などを働くこともせず、互いが互いを支え合う姿に、世界は感動しました。

 なぜ世界がこの姿に驚き、感動したのか。私たち日本人がこの国土で伝統として受け継ぎ、いわば当たり前のことのように考えている資質は、他国では空想的な理想としては考えられることはあっても、現実にはなかなか見られないものだということが背景にあるのだと思います。

 ひとを騙して自己利益を図るくらいなら、むしろひとに騙される方がましだと考える人の方が、日本の中ではずっと多いと思いますが、こういった国民性を保持しているのは日本以外にはあまり見られないのが実際だと思います。

 私たちが歴史的に築いてきた社会制度は、当然にもこうした独特な価値観を暗黙の前提としたものであるはずです。ところがこうした前提は目に見えない暗黙のものであるがために、この前提の存在に私たちはなかなか気付きにくいものです。そしていかなる社会制度であっても完璧ということはありえず、日本的な社会制度を持つことから問題を発生させている側面も当然否定できません。このため、そこに見える問題を安直に解決しようとしてそこばかりを見て動いてしまうと、私たちが最も大切にしなければならない資質それ自体を傷つけていくことにもなりかねないというところにも、やはり注意を向けるべきだと思います。我々は全てがわかっているわけではなく、自分自身でさえ捉え切れていない大切なものもあるはずで、問題の解決を図るときにはこの点について慎重であるべきではないでしょうか。

 価値観を共有していたとしても問題だと感じてしまうことがあるわけですから、価値観を共有していない立場からすれば、構造的におかしく映るところが様々あるのは想像に難くありません。従ってこれまで我々日本人が歴史と伝統の中で築いてきた社会制度が、外からの目では「取り除くべき非関税障壁」に見えるということも、大いにありうることだと思います。目に見えず、存在とその重みになかなか気付きにくい価値観が絡んでくるために、表面的に「問題」を指摘されたときに、それがもっと大きな文脈と関わってくることを相手に伝えることは実際には難しいでしょう。ですが、指摘されたままに「問題」を改めていくという方向は、決して望ましいものではありません。日本の制度にも手直しすべきところが様々にあるのは間違いないでしょうが、とはいえ日本の文化的な背景を顧みることなく、アメリカ的な価値観から見て異質に見えるから変えていこうというのは、正しい方向感とはいえないと感じるわけです。

 各人が各人の持てる力を総動員して、より有利なポジションを求めて闘っていくというアメリカ的なあり方も、1つの社会のあり方だと思います。しかしながら、そうした社会のあり方を推し進めていった結果として、ほんの一部の勝ち組と大半の負け組を生じさせ、社会を分裂状態に陥らせ、社会の安定を損ねる方向に進んでいくとしたら、それはどこか違っていると判断する立場だって当然あってよいのではないでしょうか。自分が勝ち抜くことばかりを考えるのではなく、勝ち負けをはっきり生じさせるのではなく、道理と情理を重んじながら、全体が調和を持って進んでいくことに喜びを見出していくというのも、また別の社会のあり方としてあってよいと思うのです。

 「ウォール街を占拠せよ」から始まった運動は、全米のみならず、世界中に広がりを見せました。「今の世界は1%の人間のためにある。自分たち99%の人間はそこから除外されている!」という人々の思いが高まりを見せていますが、これはむしろ勝ち負けをはっきりさせるアメリカ的なやり方が行きすぎたことに対して、人々が反乱を起こしている姿のように私には思えます。

 「チェンジ」と「イエス、ウィーキャン」を合い言葉にしたオバマ大統領が熱烈な支持を集めて当選したのも、こうした人々の閉塞感がもとにあったものだったといえるでしょう。即ち、今世界に求められている変化とは、世界が日本的な価値観に正しい意義を見出し、これに見習っていくことかもしれないのです。

 もっともアメリカ社会についてはアメリカ人が考えることであって、私たちが違和感を感じるからと言ってあれこれ口を挟みこむべきかは話は別です。ただ、「日本の社会はおかしい。改めよ。」と迫られたときに、「あなたたちの社会こそおかしいのではないか。勝ち組に残ろうと絶えず努力しないと負け組に転落してしまうという恐怖感にかられた社会が正常だと思えるか。社会の分裂を生じさせ、社会の安定を傷つけながらも、それを省みることさえしないで、無条件に今のあり方を正しいと考えているのは理解できない!」と伝えていくのも、私たちには大切なことだと考えます。アメリカ政府に対してだけではなく、アメリカ国民に対して直接このようなメッセージを伝えていくことも、日本や日本人に対するあらぬ誤解を解く上でも大切なことだと私は思います。

 TPP 参加問題に対して私が危険だと感じているのは、こうした日本的な社会構造を撤廃し、「グローバルスタンダード」とされている、アメリカ的な社会構造に合わせることが求められているからです。そして、いったん TPP に入ってアメリカに合わせすぎたと後で感じたとしても、ラチェット規定(一度緩めた規制を元に戻すことができないとする規定)が存在することによって、取り返しがつかないことになるからです。さらに、ISD条項と呼ばれる多国籍企業の権利を国家主権よりも上位に置いて保護する規定があり、日本独自の道を今後歩んでいこうとすることが事実上不可能になるからです。つまり、一度入ってしまうと日本の自発的な意思で修正することは事実上不可能で、その影響は国全体に及んでしまう過激なものであるからです。日本を支えてきた、世界に誇る特質に深い傷を負わせるような社会制度改革が行われて果たしていいのか、我々は根本から問う必要があります。

 もちろん開かれた国民的な議論の結果として、 TPP に入ろうという意見が多数派を占めるのであるなら、その決定に従わなくてはなりません。ところが現状では、メリットとデメリットがともに国民に正しく伝えられた上での議論が行われているとはとてもいえないでしょう。「ラチェット規定」とか「ISD条項」といった、反対派の見解の鍵となる基礎用語すら、今なお国民にはほとんど伝わっていない状態です。国会での論戦を見ていると、総理自身もよくわかっていない疑念すらありますが、こういった状態で交渉参加の方向性が決められていくというのは、不正常だと思わない方がおかしいのではないでしょうか。

 それでも私は TPP 賛成派を人たちを「売国奴」と簡単に決めつけることには反対です。日本の様々な問題を解決するには、こうした外圧をこそ利用すべきだといった考え方もありうると思います。傍若無人な中国を牽制するために、安全保障の見地も含めてこうした経済圏を発展させることが必要だという見解を取る立場も、1つの考え方でしょう。私はこうしたいずれの考えにも全く納得はできませんが、それでもこうした見解も考えられる見解として尊重すべきだとも思います。私は TPP には断固反対の立場であり、反対派の議員にはぜひとも頑張ってもらいたいとも思っていますが、国会における論戦の仕方を見ると、反対派の議論にもどうも不愉快なものを感じてしまうことが多いわけです。舌鋒鋭く相手をやり込める方が華々しく頼もしく映りますが、そのように国民各層を敵と味方に分断してしまうやり方は、少なくとも美しいものではなく、日本的だとは思えないのです。

 アメリカの要求に合わせていかないと嫌がらせを受けるかもしれないと懸念して、やむなく妥協しているという立場もありえるでしょう。仮に政府がそういう立場に立っているとした場合には、それは表立って口にできることではありませんから、我が国の国益を考えて主体的に判断していると言わざるを得なくなるかと思います。こうした政府を嘘つきよばわりして攻撃を仕掛けるのは簡単なことですが、逆にこうした立場にあることを配慮して、彼らのプライドや政治的立場が傷つかないようにしつつ、どのような方策を採用することでアメリカの圧力を跳ね返すことができるのかをともに考えていくということまで考えないと、その隙を狙われるということさえありえるのではないでしょうか。真に国益を考えるのであれば、こんなところで分裂している場合ではないんじゃないかと、私は考えるわけです。

 さて、今回の TPP の問題は、民主主義的な手続きという点で大きな汚点をさらけ出したものであると、私は思います。実質的には過半数を超える国会議員が反対・慎重の立場に立っていることを知りながら、内閣が交渉参加に向けて関係国との協議に入ったのは、全く理解できない話です。47都道府県議会のうち44の議会が反対・慎重の決議を採択し、TPP 推進派の産経新聞の世論調査でも、「TPP 交渉参加は日本に利益をもたらすか」との問に87%が「NO」、「交渉参加をしても不利になった場合は離脱できると思うか」との問に89%が「NO」、「政府の説明は十分か」との問に94%が「NO」という国内状況にあるのに、反対派を押さえて参加するのが正しいという論拠はいったいどこにあるというのでしょうか。

 「国民がまだ誤解している」というのであるなら、政府は誤解が解けるまで情報公開を行い、反対派との徹底的な議論をすべきであり、その上で反対派や慎重派を説得して、少なくとも過半数の賛成は得られるようにしてから、交渉参加をすべきでしょう。

 民主主義を大切にすることを何よりの国の基本とするというのであるなら、仮に本来は TPP に賛成の立場に立っていたとしても、今回の決定過程に口をぬぐうのは道理に反していると感じます。

 こうした状況にあることを十分に承知しながら、野田総理に対して、反対派の意見を押さえ込んで TPP 交渉に参加せよという立場を鮮明にした大手マスコミの姿勢は、まさにあるまじきものであったと思います。マスコミの責務とは、国民各層の多様な考えを拾い集め、真っ当な国民的な議論を形成することにこそあるはずで、これを忘れた段階でマスコミは失格だと考えます。

 国民的な議論がまともに進んでいないことを十分に承知しながら、国民各層から様々な反対や疑問が出てきていることも知りながら、結論先にありきで、この結論にできるかぎり近づきやすいように世論を誘導していくというマスコミのあり方は、全体主義的と言われても仕方がないところでしょう。政府が民主主義的な合意形成過程を軽んじている場合には、これこそをまさに衝くのが民主主義国におけるマスコミの役割ではないでしょうか。

 TPP 参加への決定過程が民主的でなく、マスコミの姿勢もまた民主的でないという点に加えて、TPP がそもそも民主的な議論に置かれていないというのも、私たちが真剣に考えるべきことだと思います。オバマ大統領は APEC と同時に開かれた TPP 参加9ヶ国による首脳会合の後で「TPP は大筋合意に達した」と語ったという報道がなされました。ところがその合意内容については、未だに明らかにされていません。「日本は首脳会合に参加させてもらえなかったからだ」という見解は的を射たものではないでしょう。なぜなら、首脳会合参加国の国民が自国のマスコミ報道で内容を知ることができるならば、そこからどういう内容だったのかを我々が知るのは、それほど難しいことではないからです。ところがそういう情報すら出てこないところに、今回の TPP の不可解さがあります。交渉参加国の国民ですら、必要な情報にアクセスできないのです。そしてこうした問題に対して本来最も敏感であるべきマスコミが、まったくこの不可解さを取り上げていないことに、大変大きな危機感を感じます。

 私は日本の国柄(国民性、伝統、文化、社会制度)の問題から、また NAFTA(北米自由貿易協定)や米韓 FTA(米韓自由貿易協定)の内容から、さらにこれまでの日米交渉の内容とあり方から考えて、 TPP が国益に沿うことはありえないだろうと考えていますが、これまで述べてきたように、私はむしろ民主主義との観点で危機感を抱いています。賛成派・反対派の見解が十分にかみ合った議論を行い、それを国民がしっかりと見守り、国民的な議論が適正に行われた上で結論を出すべきという極めて当たり前のことが、これほどまでに軽んじられているのは解せないのです。従って今回の TPP 交渉参加問題については、我々が大切にすべき民主主義とは何かを見直すよいきっかけになっているとも思います。

 民主的な討議過程を何よりも大切にしよう、国民各層の多様な意見がマスコミによって極力採り上げられるようにしよう、その上でかみ合った議論が展開されるようにしよう、その上で最終的に国民世論が判断した方向に国を動かすようにしようというコンセンサスを確立していくことを、今回の TPP 問題を巡る議論の中で、追求していきたいと考えています。
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コメント

1. 無題

素晴らしい考え方で、賛同いたします。

2. Re:無題

>広島のカンジーニョよりさん

ありがとうございます!

3. 国益とは

ロシア政治経済ジャーナルのメルマガから来ました。

民主党政権の一連の言動を見てきて、国益を守ることが出来るとは到底思えません。

国難を乗り越えて行ける卓越した技量を持つ政治家が、本当に必要な時期だと思いますが、一人一人が出来ることをすることもまた必要なのでしょうね。

4. Re:国益とは

>shinさん

shinさんも「ロシア政治経済ジャーナル」の読者でしたか。同じ仲間として嬉しい限りです。

TPP については世間がまだほとんど注目していない頃から、ごく限られた方たちがその危険性を訴えてきましたが、その甲斐あって国民全体を巻き込むところまで運動を進化させることができました。この力を信じていきたいところです。

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