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君が代斉唱に反対するのは道理に合わない(1)


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 卒業式シーズンになりました。卒業式とは本来は晴れがましい門出を祝う場であり、この場にことさらに混乱や対立を持ち込むのは不適切であると考えますが、今なお国歌「君が代」の斉唱に反対するような活動が展開されています。それどころか、以前にも増して活発な活動が行われているようにさえ思えます。以下はこのような運動を展開している団体が都内各地の都立高校で卒業式の当日に生徒たちに対して門前で配布しているビラです。最近は卒業式に際してこのようなものまで撒かれるようになっているのですね。


「都教委包囲・首都圏ネットワーク」のチラシ


「地域と学校をむすぶ板橋の会」のチラシ

 皆さんもよくご存知だと思いますが、彼らの論理は以下のようなものです。

 憲法には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と書いてあり、こどもの権利条約でも「自己の見解を表明する権利」「思想、良心および宗教の自由への権利」が保障されている。だから、自分で考え、違うと思うことは意見を表明し、態度で示していくことは当然である。君が代の歌詞は「天皇の支配は続くだろう 1000年から8000年までも 砂や小石や岩が大きな岩になり合体するまで 苔がその上にはえるまで」という天皇礼賛のものであり、主権在民の現在の世の中にはふさわしくない。君が代斉唱を拒絶するという形でその意思を表すのは、極めて当然なことである。

 これについて、今回と次回の2回にわたって反論してみたいと思います。

 まずは天皇に対する位置づけです。彼らは天皇に対して、徹底的にネガティブなイメージを前提とします。このイメージは正当でしょうか。古代において天皇中心主義を確立した文書とされる17条の憲法においても「和をもって尊しとなす」という精神の下で合議制によって政治が運営される仕組みが規定されており、天皇といえども絶対的な権力者という位置づけではありませんでした。その後外戚としての藤原氏の権限が強まる一方で、天皇の実質的な政治的権限はさらに薄められていったことから、天皇の側が院政という仕組みでこれに反撃しようとしたということも、歴史において学んでいる話です。さらにその後政治上の権能は武家に奪われるようになり、少なくとも南北朝の争乱以降は、天皇は権威は有していても実質的な権力は有していない存在となりました。

 このように天皇は権威は有していても実質的な権力は有していないというあり方は、明治政府以降も基本的には変わることはなかったといえます。日清・日露の両戦争に際して、明治天皇は明確に反対の姿勢を取られ、「よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」(四方の海の向こうにある国々は皆兄弟姉妹と思われるのに、どうしてこの世で波風が騒ぎ立つ戦争のようなことが起こるのであろうか)との歌を歌われたのは、ご存知の方も多いのではないかと思います。昭和天皇がこの明治天皇の御製を大東亜戦争開戦時に引用されたのも有名ですよね。

 昭和天皇は二・二六事件に際して「朕自ら近衛師団を率いて、これが鎮定に当たらん」と発言されましたが、陛下が自ら軍を率いることは憲法違反になると諌められ、断念されたということもありました。明治憲法には「天皇は神聖にして侵すべからず」という規定があり、陛下が政治という俗な世界に直接関わることはできなかったわけです。絶対的な権力者として天皇が君臨し、人民を抑圧し、戦争に導いてきたという単純な階級闘争史観に基づく捉え方は、日本の歴史を正しく説明するものとはいえないでしょう。

もっとも戦前の軍部の暴走については我々は大いに反省すべきですが、しかしそもそも軍部の暴走は天皇の命令によって行われたわけではないということを、我々は確認しておくべきだと考えます。

 そもそも軍部の暴走は、海軍の保有艦船の制限に関して内閣が国際条約を結ぶことが「統帥権の干犯」にあたり憲法違反だという海軍軍令部総長の加藤寛治の暴論に対して、野党側が絶好の与党攻撃の材料ができたと飛びついたことから起こったものです。我々が戦前の歴史に対して真摯に学ぶべきものとは、まともな政治運営を麻痺させるようなものについては、野党といえども飛びつくことはあってはならないということであり、これを憲政の常道として確立することでしょう。ところが、今なお野党は与党の足を引っ張れるのであれば、どんなことでも平気で行うということがまかり通っています。「戦前の政治に対する反省」を口にするならば、まずはこの点を確かにすべきであるのに、それを戦前の天皇制に原因があるかのように扱うのは、明らかに問題の焦点にズレがあります。

 また、歴史的に「君が代」は必ずしも天皇陛下を讃えるためだけに謳われてきたわけではありません。四十の賀、五十の賀、六十の賀、七十の賀というように、年齢の節目節目で目の前にいる人のこれまでの長寿を祝い、さらなる長寿を祈る歌としても広く歌われてきた賀歌でもありました。婚礼においても両家の子々孫々の繁栄を祈願する祝い歌として歌われてきました。従ってこれを卒業式で歌う時、卒業生と在校生の、あるいは生徒たちと先生方の、今後の長命と繁栄を祈願する祝い歌として位置づけることは、そしてその延長線上に日本国の子々孫々の持続と繁栄を祈願する歌として位置づけることは、そもそもおかしなことではないはずです。君が代には固定的な解釈しかないわけではないこと、それぞれの場面に合わせて様々な慶事をお祝いするために歌われてきたことについて、私たちは正しく捉えておく必要があると思います。

 天皇や天皇制に対して、事実に基づかない偏った考えしか認めずに、それを根拠に君が代斉唱を拒絶するというのは、およそ良識ある大人の態度とはいえないと考えます。この見解にご賛同いただける方は、ブログランキングへの投票をお願いいたします。


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コメント

1. 無題

国旗掲揚、国歌斉唱は、私の記憶では普通に行なわれていたような気がします。いったいいつから、反対する教員や団体が出てきたのか?極めて不思議この上ない限りです。私は自分自身のことを差別を憎み、平等を好むリベラルだと思いますが、現在の風潮だと保守的だとされてしまうのでしょうか。日本が右傾化したと騒ぐ人が多いですが、普通になってきているだけと思います。象徴天皇は、即ち立憲君主制だと思いますし、絶対君主制とは異なり、権力は無く、過去も現在も天皇が自由気儘には振る舞うこと等出来なかったのが現実の歴史だと思います。今回ご指摘の通り、左派の捏造のファンタジーな歴史観には困りものだと思いますね!

2. Re:無題

>グラースさん
地域や学校によっては、昔からこういうことはあったようです。15年ほど前(1999年)ですが、この国旗・国歌の問題に疲れた広島県立世羅高校の校長先生が自殺されるという衝撃的な事件もありました。最近は左翼が徐々に追い込まれてきているので、運動の仕方も逆に激しくなっているところがあるのかもしれません。
私も自分のことを「保守」というよりは「リベラル」に近い立場だと思っているのですが、世間はそうは思っていないようです。(笑)

3. 無題

改めて今回記事を読ませてもらって、とても面白いと感じたところがあります。ロンドン会議の海軍軍縮条約の巡洋艦保有比率で米英10割に対して、日本が7割を主張して、ほんのわずかなところで達成出来ず、海軍軍令部長の加藤寛治が統帥権干犯を騒ぎ出したことについて、海軍内の条約派と艦隊派との争い、内閣と作戦統帥機関の争い、与党民政党に対して、野党政友会が難癖をつけたエピソードを現在の安倍内閣に対する野党の政局のみの難癖に例えたところが、私は気に入ったところであります。鳩山一郎なんかも統帥権干犯の先頭にたっていたことも某かの因縁を感じるところであります。

4. 無題

ワシントン会議での海軍軍縮条約では、軍艦の保有比率、米英10割に対して日本が7割以下でも海軍大臣加藤友三郎、総理大臣原敬のコンビでうまく治めていたんで、ロンドン会議が一気に政局化したことは、政治家の力量不足なのか?劣化なのか?と現代にも通じる教訓になると考えていました。東郷平八郎、伏見宮等海軍長老がでしゃばる状況も最近の細川、小泉、鳩山、村山、菅等元総理が色々と鬱陶しく立ち回る状況を彷彿とさせます。この辺の歴史はマイナー過ぎて、一般受けしなそうですが、学校教育では無理なものでしょうか?

5. Re:無題

>グラースさん
この点が実に曖昧にしか学校教育では扱われていないのが、本当に嘆かわしいですね。戦前に関して反省すべきことはいろいろとありますが、これこそが最大のものであるべきだと個人的には思っています。左翼の人たちのみならず、戦前の日本に誤りはなかったという考えの方からも、この点に対する問題提起がなされることがないので、マイナーな扱いのままなんでしょうね。そしてこれを教訓化できないまま、現在も同じようなひどい政治が続いているのは、実に悲しむべきことだと思います。

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