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君が代斉唱に反対するのは道理に合わない(2)


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 さて今回は、卒業式での「君が代」の斉唱に反対する一部教職員を中心とする運動に対する批判の第2回目です。

 もう一度彼らの論理を振り返ってみましょう。

 憲法には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」と書いてあり、こどもの権利条約でも「自己の見解を表明する権利」「思想、良心および宗教の自由への権利」が保障されている。だから、自分で考え、違うと思うことは意見を表明し、態度で示していくことは当然である。

 さて、卒業を迎えた生徒たちの中には学校に対するいろいろな思いがあるはずです。自分の出身校に強い愛着を感じながら卒業する生徒たちももちろん多くいるはずですが、その一方で学校に対する愛着をほとんど感じないまま卒業を迎える生徒たちもいるはずです。中には教師や学校に対する極度の不信感を抱いて卒業に至る生徒たちもいるでしょう。そしてそうした生徒たちが校歌や「仰げば尊し」の斉唱を求められた時に、起立をしないで斉唱を拒否するという示威行動を行うという場合を考えてみたらと思うのです。即ち、我が師に恩など全く感じておらず、学校に対しては不信感しか抱いていないのに、どうして校歌や「仰げば尊し」を歌わねばならないのだという意志を明確に示したとしましょう。この時に、彼らは生徒たちの表明した思想、良心の自由を、心の底から最大限尊重できるのでしょうか。私にはそうだとは思えません。なぜならば、そのような一部の生徒による自由な意志の表明は、生徒たちと関わってきた教職員や学校に愛着を持つ他の生徒たちの心情を著しく傷つけるものとなるからです。

 卒業式とは、卒業生個々人のものでもあるわけですが、卒業生全体のものでもあり、在校生を含めた生徒全体のものでもあります。さらには教職員のものでもあり、臨席された保護者の方々のものでもあり、さらにひろく捉えれば、臨席されなかった方々を含めて地域社会のものでもあります。すなわち、個人個人にとってももちろん意味のある式ではあるわけですが、そうした側面だけで捉えることのできない公的な性質を帯びた儀式でもあるはずです。このような公的な性格を帯びている場において、個人の思想信条を優先させて式自体を台無しにするなどということは、権利の濫用と言われても仕方がないものではないでしょうか。生徒であってもそのような制約のもとにあるべきなのに、公務員である教職員が公務として遂行すべき業務を台無しにする権利などあるはずもありません。

 学校や教師に対する不満や不信感を個々の生徒が口にすることは当然自由です。しかし、それはこうした公式行事の場と切り離されて行われるべきものでしょう。むろん、生徒たちに対しては式の意義をしっかりと伝えることが大切ですし、その上で彼らの理解を得た上で進めていくべきものだとも私は思っています。そしてそのようなけじめについて教え込んでいくことも、教育の大切な目標になるべきだとも思っています。

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コメント

1. 家来は家族

いつもありがとうございます
毎日読ませて頂いております
日の丸と君が代が嫌いな日本人はおりません。
君が代斉唱に反対を唱える有識者もどきは
『さざれいし』とは何だか判っているのでしょうか
お国を知り、君が代の『詞』の意味が理解出来ていれば自然と歌えるものだと想います。
今後とも宜しくお願い申し上げます。
田中研一

2. Re:家来は家族

>田中様
こちらこそ、いつもありがとうございます。
私はさざれ石は桑名市の春日神社で見た記憶があります。それほど大きな神社ではないので、こんなところにもあるんだと驚いた記憶があります。(田中様が問題にされているのはそのような物理現象としてさざれ石がどのようにできたものであるかとか、それが実在するかという話ではないのだろうと推察しますが。)
これからもよろしくお願いいたします。

3. どもです(#^.^#)☆

ブログ拝見しました♪ブログの書き方にも色々あるのですね☆私の所にも来て頂ければ幸いです♪

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