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慰安婦が慰安所で性的行為を強要されたなど、噴飯物である!


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 前回に引き続き、神奈川新聞の社説について見ていきます。神奈川新聞は以下のような記述を行っています。

 国際社会から非難されているのは強制連行があったからではない。厳しい視線が向けられているのは、人集めの際の強制性のいかんに焦点を置くことで問題の本質から目を背け、歴史の責任を矮小(わいしょう)化しようとする態度にである。問題の本質は、女性たちが戦地で日本軍将兵に性的行為を強要されたことにある。慰安をしたのではなく性暴力を受けた。兵士の性病まん延防止と性欲処理の道具にされた。その制度づくりから管理運営に軍が関与していた。それは日本の植民地支配、侵略戦争という大きな枠組みの中で行われたものであった。

 よく知られているように、慰安婦の募集には求人広告も使われ、当時の慰安婦の募集条件はこうした求人広告からもある程度わかります。まずはこうした広告の一例(昭和19年7月26日京城日報掲載)を見てみましょう。



 年齢は17才から23才までで、勤務時間は午前8時から午後10時まで、月収300円以上で前借りは3000円まで可能だったことが記されていることがわかります。(ちなみに年齢については慰安所ごとに違いがあるようで、18才から30才までという広告も見かけたことがあります。)勤務時間はかなり長く、肉体的には大変な仕事であったということが理解できますが、やはりきちんと見ておかなければならないのはその給与でしょう。当時の二等兵の給与が月額6円であった時代に、その50倍にあたる月額300円を給与の最低限として示しているところに注目しておきたいのです。つまり、当時の二等兵の月給が仮に現在の貨幣価値で10万円程度に相当すると考えたとすると、慰安婦の給与は最低ランクでも月額500万円だったということになります。前借りはその10倍までできたわけですから、この計算で行けば現在の金額にして5000万円まで借りられたということになります。こうした雇用条件を有利なものと考えて応募した女性たちが多かったであろうということは、想像に難くはないでしょう。

 自分たちがどのような仕事を行うのかを了解し、その代わりに大きな経済的な利得を得られることを理解した女性たちが慰安所で仕事を行った時に、それを「戦地で日本軍将兵に性的行為を強要された」とか「慰安をしたのではなく性暴力を受けた」とか「兵士の性病まん延防止と性欲処理の道具にされた」と表現するのは適切なことでしょうか。相当にねじ曲がった根性でものごとを見ないと、このような表現はできないと考えます。

 しかしながら、実際の慰安婦の雇用状態が本当に募集広告通りであったのかどうか疑わしいという考えもあるでしょう。そこで文玉珠さんという日本の郵便局を相手に訴訟を起こした元慰安婦の方の例を取り上げてみましょう。彼女は慰安婦として働いた2年半の間に26145円の貯金を行い、これとは別に5000円の送金を実家に対して行っています。つまり彼女は2年半の間に30000円以上の貯金ができたということになります。ということは、彼女は毎月1000円程度の貯金をし続けていたということになります。これは先ほどの計算で考えると、現在の貨幣価値で毎月1500万円以上の貯金ということになります。当時、税金や社会保険料がどうなっていたかはわかりませんが、少なくとも手取りで毎月1500万円以上の収入を得ていたのは確実だということになります。月収が1500万円もらえる状態であるなら、過酷な労働条件があったとしても甘んじるというのは普通のことではないでしょうか。生死と隣り合わせで生きている兵隊さんたちからしたら、代わってもらいたいくらいの立場だったのではないかとさえ思います。

 今日でも戦場においては売春婦はつきものだと言ってよいでしょう。ところでここでよく考えてもらいたいのですが、この時の日本軍相手の慰安婦ほど好条件で働ける売春婦は他にいたのでしょうか。恐らくはいないと思います。では、なぜ日本軍相手の慰安婦は他の売春婦よりもずっと恵まれた職業となりえたのでしょうか。それは、神奈川新聞が言うところの「その制度づくりから管理運営に軍が関与していた」からではないでしょうか。

 現地の民間業者に丸投げをしたとしたら、悪徳業者のやりたい放題が放置されていたでしょう。業者はぼったくり放題で、女性の人権など全く顧みられることはなかったでしょう。

 アメリカの戦争情報局がビルマで捕らえた慰安婦に聞き取り調査を行った報告書を見ますと、兵士の身分や所属部隊ごとに慰安所に行ける曜日と時間が指定され、週1回は慰安婦の休息日が置かれていたことがわかります。どんなに性欲が旺盛な兵士であっても、週に1回行くのが上限でした。こういう点にまで軍は積極的に関与し、彼女たちの健康状態について十分な配慮を行っていたのです。

 この報告書には例えば次のような記載もあります。

 The interrogations further show that the health of these girls was good. They were well supplied with all types of contraceptives, and often soldiers would bring their own which had been supplied by the army. They were well trained in looking after both themselves and customers in the matter of hygiene. A regular Japanese Army doctor visited the houses once a week and any girl found diseased was given treatment, secluded, and eventually sent to a hospital.(聞き取り調査の結果としてさらにわかったのは、彼女たちの健康状態が良好だということだ。彼女たちにはあらゆるタイプの避妊具が十分に与えられ、兵隊たちも軍が支給する避妊具を持参してきた。彼女たちは衛生の観点で自分自身の体も顧客となる兵士たちの体も守っていく十分な訓練を受けていた。日本の軍医がかかりつけ医として週に一度慰安所を訪問し、病気がみつかった女性には治療が施されるとともに隔離処置が取られ、最終的には入院施設のある病院に送られた。)

 They lived well because their food and material was not heavily rationed and they had plenty of money with which to purchase desired articles. They were able to buy cloth, shoes, cigarettes, and cosmetics to supplement the many gifts given to them by soldiers who had received "comfort bags" from home.(彼女たちの暮らしぶりが裕福だったのは、彼女たちに対する食料や物資の配給制減が厳しくなく、望むものを購入できるお金もたくさん持っていたからだ。故郷から送られてきた「慰問袋」を受け取った兵隊たちが多くの贈り物を彼女たちにしてくれたのに加えて、衣服、靴、タバコ、化粧品を自分のお金で買うことができたのだ。)

 While in Burma they amused themselves by participating in sports events with both officers and men, and attended picnics, entertainments, and social dinners. They had a phonograph and in the towns they were allowed to go shopping.(ビルマにいる間、彼女たちは将兵たちと一緒に運動会に参加して楽しい時間を過ごし、ピクニックや演芸ショーや夕食会にも行くことができた。彼女たちは蓄音機も持っており、都市部においては買い物に出かけることも許されていた。)

 The girls were allowed the prerogative of refusing a customer. This was often done if the person were too drunk.(彼女たちには客を拒絶する特権も認められていた。この特権は客が酔っぱらい過ぎの時によく行使された。)

 この報告書(Report No. 49: Japanese Prisoners of War Interrogation on Prostitution) から見えてくるのは、彼女たちの人間としての尊厳を傷つけないために、日本国が、また日本軍がいかに真剣に関与していたかということではないでしょうか。

 ここを理解した上で、もう一度神奈川新聞の社説を読んでみましょう。

 問題の本質は、女性たちが戦地で日本軍将兵に性的行為を強要されたことにある。慰安をしたのではなく性暴力を受けた。兵士の性病まん延防止と性欲処理の道具にされた。その制度づくりから管理運営に軍が関与していた。それは日本の植民地支配、侵略戦争という大きな枠組みの中で行われたものであった。

 事実を丹念に見つめずに、頭から信じた固定観念から抜け切らないと、こんなものの見方から脱却できないという典型例だということがよくわかるでしょう。

 もう一度書きますが、私たちは日本政府や日本軍が慰安婦制度の「その制度づくりから管理運営に軍が関与」して、女性たちの人間としての尊厳を確保することに尽力したことに、むしろ誇りを感じるべきではないかと思います。


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