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韓国政府との「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録推進合意に警戒の目を!


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 岸田外相と韓国の尹炳世(ユンビョンセ)外相との会談が行われ、「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録について、韓国政府が反対せず、両国が協力することで一致したとの報道がなされました。但し、岸田氏は韓国政府の主張を踏まえて、一部の施設で戦時中に朝鮮半島出身者が働いていたことなどを明示すると説明し、尹氏側も受け入れたと報じられています。

 ここで私たちが問題にしなければならないのは、朝鮮半島出身者が働いていたことを日本国政府は具体的にはどのように記述すると伝え、これを尹炳世外相が受け入れたのかという点です。慰安婦問題でわかるように、彼らに幾ばくかでも隙を与えることをやれば、それは後々まで尾を引くことになる可能性が高いのであり、その点について余計な芽を摘み取っておくことが今後の日韓関係にとって極めて重要になるからです。そしてこの最も肝心な点については、岸田外相も尹炳世外相もともに語ってくれていません。

 戦時体制のもとで本土の若い人手が兵隊に取られる中で、当時の炭坑労働者は圧倒的な労働力不足に陥り、朝鮮半島から多くの労働力を入れていたのは事実です。炭坑労働というのはもともと過酷なものですから、想像以上に過酷だったと感じた人もいたでしょうし、落盤等の事故で命を落とした方もいたでしょう。しかしながら、それは日本人労働者も同じ立場に置かれていたのであって、朝鮮半島の人たちが不当に過酷な労働に従事させられていたわけではないという一線は、断じて譲ってはならないところです。

 いうまでもないことですが、戦時体制という非常事態にあって、本土の若者たちは徴兵されて戦地に送られていました。大学生であっても学徒動員が発令され、戦場の第一線に送り込まれていました。激しい戦闘の中で命を落とした方が大勢いたのみならず、補給が途絶えて食事もろくに取れない中で餓死した人たちも非常に多かったというのは、忘れてはいけないでしょう。

 確かに朝鮮半島での労働者の斡旋は高賃金を餌にしてもなかなかうまく進まないところもあり、かなり強権的なやり方も行われていたこと自体は事実ですし、昭和19年の9月から昭和20年の3月の7ヶ月間にかけては国民徴用令が朝鮮半島にも適応され、朝鮮半島から九州のみならず、北海道、樺太などの炭坑まで行かされたということもありました。そしてその労働環境は確かに過酷なものだったわけです。それでも、本来国民として等しく義務を受け入れるべきという見地から見れば、明らかに本土の若者たちの方が過酷な環境に置かれていたというべきでしょう。この中で、朝鮮半島の労働者の置かれた過酷さのみをことさら大きな悲劇として取り上げるのは、バランスに失するとは思われないでしょうか。彼らは日本国民の中で差別的に悲劇を担わされたわけではありません。彼らも過酷な運命を受け入れねばならなかったでしょうが、本土の若者たちの方がより過酷な運命を受け入れねばなりませんでした。この悲劇の相対性というものを、私たちは見失ってはいけないと私は思います。

 悲劇の相対性を忘れることなく、本土の若者たちが担った過酷な運命と、その穴を埋めるために駆り出された朝鮮人労働者の悲劇が、ともにしっかりと位置づけられた銘文を用意しようというのであれば、私としては反対する理由はありません。しかしながら、本土の若者たちの悲劇が顧みられることなく、一方的に朝鮮半島の労働者たちがあたかも朝鮮人であるがゆえの不当な差別に基づいて過酷な労働に駆り出されたかのような記述になるとすれば、それは断じて許されるものではないでしょう。文面の中身がどうなるかについて、私たちは政府に対して厳しく申し入れを行っていくべきだと、私は考えます。


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