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社会の標準的な思想とは



 共産主義者の人たちは、社会の標準的な思想というものを概ね以下のように考えている。

 歴史上どの時代でも、物質的支配者の持つ思想こそが、社会を支配する思想となる。支配者階級は物質的生産を掌握しているゆえに、思想の生産も管理することが可能であるはずだ。資本主義においては、中心的なマスメディアはそれ自体が大企業であり、大資本が牛耳るものであるし、マスメディアに広告を載せてマスメディアを儲けさせるのもまた巨大資本であるからだ。支配者階級は被支配者階級の抵抗を抑えるためには思想を支配する重要性を認識しており、自分たちが有利になる思想を押し広げようと画策することにはとりわけエネルギーを向けるものだ。それゆえ物質的支配者は思想・精神もまた支配することが可能となる。したがって、物質的生産手段を持たない人々は、頭の中の思想すら支配階級の支配下に置かれることになる。

 この認識に基づき、彼らは資本家階級を利するような思想に対する徹底した思想闘争(イデオロギー闘争)が重要だと考えるわけだが、この理解は現実として正しいのだろうか。

 こうした傾向もあるというのは否定する必要はないだろう。私企業であればカネに転ぶ傾向があるのはやむをえないし、大口の広告料を支払ってくれるお得意様を敢えて怒らせるようなネタであるなら、報道しない傾向は当然あるだろう。しかしながら、マスコミの現実を見た場合に、マスコミがこうした単純な見方で理解できるというのは事実とは大きくかけ離れていると言わざるをえない。でなければ、「従軍慰安婦」などというデマが広まることはなかったはずだ。言うまでもないが、「従軍慰安婦」のデマは、日本の支配階級(資本家たち)にとって利益となるような話ではなく、むしろ逆に有害無益なものだ。そしてこのデマは、決して朝日新聞のみが広げたわけではない。主要マスコミすべてがここに深く関わったといってもよいデマだ。つまり、主要マスコミがろくに事実確認を行わないままにこの報道を垂れ流し続けたのが実際の話であって、朝日新聞という特異なメディアのみが変な報道を行っていたというものではない。

 ここでまず考えたいのは、マスコミには権力におもねる「御用メディア」だと国民から見られて得をすることは何一つないということだ。そのためには「反権力」的な立場に立っていた方が当然よい。だから、反権力的なネタが現れれば、事実がどうだったのかを冷静に検証することなく、そのネタに安直に飛びついてしまうということは大いに考えられる。仮に事実を冷静に検証してみて、権力側の方が正しく、ネタのほうが間違っていたなんて結果が出たとして、それを発表する勇気を持てるマスコミは多くないだろう。権力側に寄った報道を行えば、権力側におもねっているように思われるリスク=御用メディアのように思われるリスクを取らざるをえなくなるからだ。

 そもそも民主主義国においては、政府の側もマスコミを弾圧しているというイメージは絶対に持たれたくないのは理の当然だ。その結果、マスコミが反権力的な姿勢から事実とかけ離れた報道を行ったとしても、政府はそれを弾圧するどころか、黙認してしまうことだって普通に起こりうるわけだ。こうして見ると、民主主義国家においては、社会の標準的な思想が権力者に有利な思想になるとは限らないことがわかる。そしてこのことが現実化しているのが、日本のマスコミ状況の実際である。

 実際メディアは読者・視聴者を獲得するためにはなんでもやると思っておいたほうがいい。不必要な形であっても、人々の不安に付け込むことはむしろ商売の種になる。そしてその結果、そうした不安に現代人はみな駆られていると言っても過言ではないだろう。たとえば、添加物の入った食べ物は危険だというのは、現代における常識みたいなものであって、これに異を唱えるのはよほどの変わり者だと恐らくはみなされているはずだ。(ちなみに私は現在の日本での添加物の使い方であれば全く危険だとは思っていないが、これは世間では間違いなく変わり者だとみなされるはずだ。)企業はそうした社会風潮に逆らえば自社利益を確保できない恐れが高いため、科学的には無添加が正しいとは全く思っていなくても、「無添加」を実現するために努力し、「健康を大切にする企業」というイメージを確保しようとする。

 大手の食品メーカーも日本の支配層の一角であるはずで、本来なら安全な添加物を使って高品質なものを低価格で提供できる方がメリットが大きいだろう。だが、世間がみんな誤解をしている状況では、その誤解した認識に合わせて商売をするしかなくなるわけだ。この食品メーカーの例えは一事が万事で、他の業界にも同じようなことが当てはまる。例えば、原子力発電の危険性が過剰に取り上げられた結果として、原発の再稼働は非常な困難を迎えている。新設の原発なんて、一切許されないのが実際だろう。こうした思想傾向が権力者の意向を反映したものだと、果たして言えるのだろうか。

 そもそも権力者だと共産主義者が規定する存在は全く一枚岩ではない。自動車業界は食品業界で流されるデマに対しては大した関心はないだろう。同じ自動車業界であっても、日産に不祥事があって売上が落ちれば、トヨタにとってはおいしい結果となるともいえるわけで、その不祥事が事実を捻じ曲げられたものであったとしても、トヨタが日産を積極的に擁護するようなことをしなくても、おかしなことではないだろう。つまり、権力者が一枚岩で自分たちの権力を守るためにマスコミを統御しようとするという見立ては、現実を反映したものとはならないのだ。マスコミがスポンサー企業に遠慮することは当然あるが、それはあくまでも個別企業のことであって、支配層全体に対して遠慮しているわけではない。

 だが、共産主義者がそういう事実を唯物論的思考から捉えて認めようとすることはなく、あくまでもこのようなな間違った見立てからものごとを考えているにすぎない。だから彼らは唯物論者ではなく、観念論者なのだ。そして、このような観念論的な思い込みから、支配層との思想闘争で自分たちを有利な立場にしていくためには、騙しがあったって構わないのだという謀略的な思考を持つようになる。事実と異なっていても、自分たちの正義を実現するためならば許されると思い上がっているわけだ。だから彼らは唯物論を唱えながら、本当の事実がどうであったのかの確認をないがしろにする。その結果、従軍慰安婦のウソなんかもろくに検証することなしに、自分たちのプロパガンダに有利に働くからと飛びつくことになる。唯物論が聞いて呆れると言わざるをえない。

 彼らが事実を丹念に追って、科学的な見地から支配層が隠しておきたい真実を明るみに出しているのであれば、彼らには大きな存在価値があるだろう。だが、そうした見立ては完全なる誤解なのであって、彼らは事実に基づかない話であっても、イデオロギー的に自分たちに有利に働きそうだと考えるならば、無原則に飛びついているのが実際だ。

 このように、社会の支配的な思想が支配者階級の思想であるとする共産主義者の捉え方は、現在の民主主義国家においては全く成り立っていない。ここを今回は確認しておきたい。

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