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「資本主義国家=絶対悪」とは到底言えない



 私たちが今日当たり前のように思っていることの中に、マルクス主義の影響を知らず知らずのうちに受けているものは意外と多いのではないかと思う。無前提に「常識」として扱っているものについて、冷静に振り返って本当にそうなのだろうかと検証してみるべきである。

 例えば第一世界大戦や第二次世界大戦は資本主義国同士による植民地の分捕り合戦だったと一般には信じられている。資本主義が発達すると、植民地を必要とする帝国主義段階に至り、植民地の世界的な分割が終わってしまえば、こうした国々は植民地の再分割を求めて戦争するしかなくなるのだというのがこの理論の骨子である。だがこれは本当に真実を言い当てているのだろうか。現実を見ると、この考え方があまり正しいとは言えないことがわかる。

 具体例として第二次世界大戦におけるドイツを挙げて考えよう。植民地再分割論に基いて考えるならば、第一次世界大戦の敗北によって植民地をすべて奪われたドイツが、その植民地を取り返すためにイギリスやフランスを相手に第二次世界大戦を開いたということになる。こういう理解をしている人も多いと思うが、当時の歴史の歩みを見れば、これは事実に反することがわかる。ドイツはフランスやイギリスの出方を常に注意しながら、イギリスやフランスと戦争にならないようにすることに、特に強国であるイギリスと戦火を交えることがないように、十分な配慮をしていた。

 このように書くと、お前はドイツが東方生存圏構想においてウクライナまで植民地として併呑しようとしていたことを知らないのかと言われるかもしれない。もちろん東方生存圏構想は知ってはいるが、だがこの構想の背景はドイツが資本主義国かどうかとはあまり関係ないと思ったほうがよい。第一次世界大戦ではドイツは百万人近い餓死者を出しており、ここにはイギリスによる底意地の悪い海上封鎖の影響が大きかった。つまり、海を通して食料の輸入を行なっていたドイツに海上封鎖の結果として食料が届かなくなってしまったのだ。第一次世界大戦の休戦協定が成立して戦闘が停止したのは1918年11月のことだが、イギリスは自国側に有利な講和条約を結ぶための圧力として、その後もドイツに対する海上封鎖を8ヶ月ほど続けた。そしてこの8ヶ月間だけでも25万人のドイツ人が餓死した。海上封鎖をされても食料を確保できるようにするにはどうすればいいかというのは、社会体制がどうであれ、第一次世界大戦の経験を経たドイツが真剣に取り組まなければならない課題となった。そこで豊かな穀倉地帯であるウクライナまで自国の勢力圏の中に組み込んでおかないと、国民の安全と生存を保証できないというのがヒトラーの考え方だった。このような考え方が侵略的なものであるのは間違いないし、このようなヒトラーの考え方を容認したいと思っているわけでは当然ないが、だがこれは決して資本主義そのものが底なしの拡張傾向を本質的に内在し、無限の植民地獲得欲求を持っているという話とは根本的に違う。

 第一次世界大戦では、ドイツにはあまりに過酷としか言いようがない戦後処理が行われた。「民族自決」が謳われ、それを建前にしてドイツが支配していた地域でドイツから取り上げられたところは実に多かったが、そういう地域の中にはドイツ人が圧倒的な居住者だったところも多かった。つまりドイツに対する懲罰のために、「民族自決」という建前と矛盾するような戦後処理が行われたところが色々とあったわけだ。例えば、1930年代のチェコスロバキアには、チェコ系が650万人、スロバキア系が300万人が住んでいて、この両民族から成り立つ国ということで「チェコスロバキア」という国名になっていた。だが、このチェコスロバキアにはドイツ系はスロバキア系より多い325万人が住んでいたのが実際のところだ。特にドイツ国境付近のズデーテン地方はドイツ系住民が圧倒的に多かった。ドイツ系住民はチェコスロバキアの公務員になれないなどの差別をチェコスロバキア国内で受けていたこともあり、ドイツ系住民のチェコスロバキア政府に対する不満はもともと大きかった。もちろん現実のヨーロッパにはいろんな民族が混じり合って暮らしていたから、どんな風に国境線を引いたところで、民族ごとに完全に分離するというのは不可能ではあった。だが、第一次世界大戦の戦後処理では民族自決原則を最大限に尊重する方向性で国境の区分けがを行われたわけではなく、ドイツに対する懲罰を優先させたために、民族自決原則から見た場合に明らかにおかしい国境の線引が数多くなされていたわけだ。

 第二次世界大戦の火蓋を切るきっかけとなったダンツィヒという都市(今のグダニスク)は住民の95%がドイツ系の人だったのに、これはポーランドのものだとされていた。「自由都市」という扱いで、100%ポーランドのものだったというわけではないが、細かいことは省きたい。いずれにせよ、「民族自決」の原則からすればドイツの領有が認められるのが当然だと思われるダンツィヒが第一次世界大戦の敗戦処理の結果としてポーランドに組み入れられてしまったのだ。こうした地域を取り戻したいのがヒトラーの、というよりドイツの人たちの考えだった。

 ドイツは圧倒する軍事力を背景にしてポーランドに対してダンツィヒをよこせと一方的に脅迫したかのように思っている人も多いだろうが、実際にはぜんぜん違う。ヒトラーはドイツ国内で政権基盤を固めていく際には極めて反民主主義的で目を背けたくなるほど強引な手法を次々に繰り出したが、ポーランドに対するダンツィヒ要求については驚くほど低姿勢を貫き、ポーランド側と妥協できる条件を徹底的に探っていたのが実際だ。ヒトラーはダンツィヒにすでに敷設されているインフラや鉄道施設のポーランドの引き続きの所有を認めている。チョコスロバキアからの独立の動きを見せているスロバキアをポーランド領に組み込むのを認めてもよいとも伝えている。その上でポーランド国境に対する将来の保全も約束した。さらにドイツとロシアに挟まれたポーランドの安全保障の問題で協力関係を結び、ロシアの脅威に一緒になって立ち向かうことも約束していた。その上で、ダンツィヒの返還と、ダンツィヒへアクセスする鉄道や道路の建設を認めてもらいたいと要求した。ポーランドの側から見ても受け入れやすい条件をあれこれ付けることで、平和裏に交渉をまとめたいとヒトラーは真面目に考えていたのだ。ドイツとポーランドの国力差からすれば、ここまでポーランド側に立つ必要はないと思われるほどの好条件をポーランドに提示していたとも言える。住民の95%がドイツ系のこの町は、第一次世界大戦におけるドイツに対する不当な戦後処理の象徴みたいなものとしてドイツ国内ではよく知られていたから、ダンツィヒの帰属問題はドイツの国内世論的にもヒトラーにとって引くに引けない問題だった。一方で英仏との間で戦争に発展しかねない対立は何としてでも避けたかったから、ポーランドが喜んで呑めるような好条件を提示していたわけだ。しかもこうした交渉方向についてはイギリス政府にも報告がなされ、イギリス政府も容認姿勢を見せていた。

 イギリスのボールドウィン内閣で1935年11月まで陸軍長官を務めたハリファックス卿が1937年11月にヒトラーの山荘を訪ねたことがあったが、この時にハリファックス卿はオーストリア、チェコスロバキア、ダンツィヒに関する国境線の変更について、それが平和的手段によってなされる限りは、イギリスは反対しない旨を伝えている。ハリファックス卿は翌1938年2月にイギリスの外務大臣に就任しているから、この意見は彼の個人的な見解ではなく、イギリス政府の外交方針だったのは間違いないところだ。そしてこのイギリス政府の意向に沿った対応を実際にヒトラーは行った。

 ところがポーランドはこの自国にとっても決して悪くない要求を頑なに拒絶した。この背景には、アメリカのブリット駐仏大使が1939年1月にポーランドのポトツキ駐米大使と会談を行い、ポーランドとドイツとの戦争という事態になれば、アメリカは英仏の側に立って能動的に干渉する準備ができていると語っていたことがある。ポトツキ大使の本国への報告には「アメリカ政府は戦争準備を始める。(中略)国境を変更するいかなる交渉もしてはならない。」と書かれている。アメリカはポーランドにドイツとの妥協を一切するなと釘を差し、そのためにポーランドの側に立ってアメリカが参戦する意思まで示し、これにポーランドは従ったというのが実際なのだ。痺れを切らしたドイツが独ソ不可侵条約を突然結んでポーランドに攻め込んだ時には、アメリカはまだ自国で制定された中立法に縛られていて、全く参戦できなかったのだから、ポーランドにはあまりに大きな悲劇だった。

ルーズベルト政権はポーランドがこの流れから離脱しないために、英仏をもこの路線に引き込むための工作を積極的に展開しており、それに英仏も取り込まれたというのが実際だ。より正確に言えば、ナチスを嫌うユダヤ資本との結び付きの強いチャーチルがイギリスの首相に復帰してからは、チャーチルも反ドイツの立場でルーズベルトに急接近していた。なので、チャーチルとルーズベルトが二人三脚で動いたと言った方が事実に近いだろう。

 このダンツィヒ問題が起点となって英仏とドイツは第二次世界大戦を戦うことになるわけだが、この一連の流れの中で、英仏対ドイツの争いには双方の植民地の取り合いなどなんら関係していないところに着目してもらいたい。ドイツがイギリスの植民地を取りに行ったわけでもなければ、イギリスがドイツの植民地を取りに行ったわけでもない。それどころか、双方ともに戦争を避けるために知恵を絞り、必死に妥協点を見出そうとしていた。この問題に関して地域的な利害がほとんどないはずのアメリカが積極的に関わってこなければ、第二次世界大戦という悲劇的な軍事的衝突は避けられていた可能性は極めて高いのだ。

 ドイツ系住民が圧倒的だったダンツィヒという一都市について、ポーランドの側から見てもメリットが大きい交換条件を提示されていたわけだから、この点での譲歩を行うことはポーランドにとってみても悪い話ではなかった。そしてポーランドにとっては、隣国で強国のドイツも確かに脅威ではあったが、それをはるかに上回る脅威がソ連だったのだ。政敵に対する苛烈な粛清とかホロドモールの悲劇の話はソ連と国境を接しているポーランドの国内にも漏れ伝わってきていたし、歴史的にもロシアのポーランドへの苛烈さはドイツのポーランドへの苛烈さを遥かに上回っていたから、ポーランドにとってはソ連圏に組み込まれることの脅威はドイツ圏に取り込まれる脅威より遥かに大きかった。

 確かにこのダンツィヒ問題が片付いた後には、ドイツはいよいよ東方生存圏の確保を目指してソ連との戦争準備に進むことになり、その際には通り道となるポーランドはドイツに協力させられる立場にならざるをえない運命にはあったろう。その点はポーランドにはお気の毒としか言いようがないが、大国に挟まれて翻弄される小国としては100%の悲惨と50%の悲惨しか選択肢がないということもありうるわけで、なるべく悲惨が小さくなるように選択肢を選ぶのが最善だとすれば、ドイツのダンツィヒの割譲要求に応えるのが当時としてはベストな選択肢ではなかったかと思わざるをえないのだ。ダンツィヒ割譲要求をポーランドが受け入れる代わりに、その後のポーランドの安全保障にイギリスが強くコミットするという確約が取れれば、強敵を増やしたくないドイツはその条件のもとで対ソ戦の準備を行っていっただろう。

 またアメリカから見ても、ドイツもソ連もどちらもアメリカとは相容れない全体主義国家だったわけだから、独ソが激突して独ソ両国が勝手に潰し合うことは好都合かもしれなかった。アメリカの財界はドイツと密接な関係を築いており、ルーズベルトの中立破りの動きに警戒心を持ってこれを阻止しようと動いてもいたのだ。だが、なぜかルーズベルト政権は国内の財界主流派の動きにすら逆らって、必死にヨーロッパに対して介入しようとしていたということになる。このような外交をアメリカのルーズベルト政権が展開した背後に、アメリカの政治の中枢にまで入り込んだソ連のエージェントの活躍があったのは間違いないところだ。

 ともあれ、ドイツは結局英仏との戦いに突入していくことになったが、1940年6月に独仏休戦協定が結ばれている。ヒトラー率いるドイツの圧倒的な軍事力を前に実質的にはたった1ヶ月あまりの戦闘でフランスの敗北が確定した。この協定において、独仏間で領有権がずっと争われてきたアルザス=ロレーヌ地方は確かにドイツに割譲された。新たに誕生した親独のヴィシー政府(パリに代わって南部のヴィシーに首都を構えた政府)はフランス南部のみしか統治を許されず、パリを含むフランスの北半分(実際には半分以上)がドイツの全面的な占領下に置かれることになった。フランスが負けても、イギリスはまだ負けていなかったので、ドイツが対英戦争を継続するためにフランス北部を自由に使えるようにすることは仕方がなかったわけだが、フランスにとっては実に屈辱的な休戦協定であった。

 ところでここで再び注目したいのは、この独仏休戦協定において、フランスが海外に持っていた植民地の割譲をドイツは求めていないところだ。植民地の分捕り合戦が資本主義国間の世界戦争の本質だと言うのなら、フランスが持つ膨大な植民地の割譲要求をドイツは必ず、しかもいの一番の優先課題として、行うはずではないか。ところがドイツはこの時点ではフランスの植民地の割譲要求を出してはいない。名高い映画「カサブランカ」はフランス敗北の結果誕生したヴィシー政府の統治下にあるモロッコを舞台としている。フランスはドイツに敗北したが、フランスの植民地モロッコをドイツはフランスから取り上げていなかったわけだ。ヴィシー政府が親独政権だったから、建前上フランスに持たせておいても大丈夫だったいうかもしれないが、ドイツという資本主義国のいの一番の関心事が植民地の再分割にこそあるのであれば、休戦協定においてもいの一番にその確保に走るものだろう。

 もちろん、経済的な利権としての植民地がドイツの関心の埒外だったと言い切るのは早計だろう。第二次世界大戦で最終的にドイツが勝利したならば、戦後の講和が正式に結ばれる時には、植民地の再分割も話の俎上に上がった可能性は高いとは思う。各国政府が受け入れを渋っていたユダヤ人をフランスの植民地だったマダガスカル島に送り込み、マダガスカル島をユダヤ人の島にしてしまうという構想をドイツは描いていた。つまりフランスの植民地の処分についてもドイツに考えがあったのは事実だ。だとしても、ドイツが単純に真っ先に求めたのは植民地の再分割ではなく、ワイマール体制によって不当に抑え込まれたドイツの、ヨーロッパ内での地位の変更だったということだけは確認しておきたい。そしてそんなことは大国が勃興してパワーバランスが変わった時には常に起こってきた。古典的な戦争の論理とは性質を異にする、膨張する資本主義に特有な要因は特にはなかったと見る方が自然なのである。

 そもそも資本主義が成長するのに植民地は必要不可欠なものなどではない。ヒトラーが植民地は必要だと思っていたことは否定しないが、ただヒトラーが台頭した時のドイツには植民地は全くなかったのに、そんなことが足を引っ張ることもなく、ドイツは国内需要を喚起する経済政策によって高い経済成長を実現し、失業をなくして貧困を解消し、ヨーロッパでのパワーバランスを完全に覆すだけの経済力・軍事力を保持するに至った。その経済力の伸長は、膨大な植民地を持っているフランスやイギリスを遥かに凌駕していた。植民地を持たずとも、資本主義は順調に発展しうるのだ。

 第二次世界大戦後に独立の嵐が吹き荒れて、いわゆる植民地は世界的に見てもほとんどなくなったと言ってよいだろう。もちろん表面的には独立国となった国々において旧来の植民地的な経済支配が完全になくなったわけではないといえばその通りだ。だが、そのあり方はかつての植民地支配の状態からすれば、一般的には随分と改善されている、つまり「宗主国」側の搾取と支配は随分と緩くなったというのも実際だ。そしてそのようになったからと言って、資本主義国はその存続を脅かされるような危機に陥ったかと言えば、そんなことはない。むしろ、かつては植民地として低開発だったところが成長していく中で新たなマーケットが切り開かれ、そこに新たなビジネスチャンスを見出して資本主義は発達していったというのが実際である。

 日本は第二次世界大戦の敗北によって戦後は植民地とはまるで無縁な国家となった。その日本が世界にまれに見る高度経済成長を果たしたのを見ても、資本主義に植民地が必要不可欠であるわけではないことははっきりとわかる。

 資本主義において、個別企業はそれぞれの繁栄と生き残りを賭けて争いを繰り広げる。そこではかなり無慈悲なことも行われるのは普通のことだ。競争に負けていった企業に対して、競争に勝った企業が安く買い叩こうとすることはあるだろうが、可哀想だからと競争条件を緩めて救いの手を差し伸べることはまずないだろう。少なくとも救いの手を差し伸べなかったからと言って倫理的に非難される筋合いはない。この無慈悲な争いの中で、企業経営者が労働者に対して家族に対するのと同じような愛情を持って接することはなかなか期待しにくい傾向はあるだろう。競争に勝つためには過酷な労働条件を労働者に押し付けて、コスト競争上優位に立つことは、生き残りのためにはやむを得ざる処置かもしれない。こうした資本主義企業の持つ無慈悲さに着目して、資本主義の限界を唱え、社会主義の必然性を唱えたのがマルクスであった。そしてそれは彼が生きた19世紀の現実にはかなり適合したとも言えるだろう。

 ただもう一方において、資本主義は相互依存の上に成り立っており、全体としてのマーケットが大きくなればなるほど、そこから利益を得られる仕組みにもなっている。個別資本(個別企業)としては、なるべく低賃金で労働者をこき使った方が利益が上がるので、そういう無慈悲なやり方が露骨に出やすいところはある。だが、総資本(個別企業を超えた事業者全体)としては、労働者の賃金が適正に上昇し、マーケットが順調に拡大している方が利益を得やすいのだ。

 この矛盾を資本主義は乗り越えられないことを前提に考えられたのがマルクスの理論だが、実際には資本主義はこの矛盾をある程度は乗り越えてきた。あくまでも私見ではあるが、主に失業率に注目しながら、国家が適切な財政政策・金融政策を実施することで、この矛盾をかなりの程度解消することができるのではないかとも思っている。ブラック企業が労働者に対して理不尽な働き方を押し付けようとしても、容易に労働者がその企業から逃げ出せる、つまり転職しやすい環境を作っていれば、労働者の職場環境も国家による強制という手段を用いなくても整備されやすくなる。つまり、失業率を適正水準にまで引き下げていれば、賃上げも起こるし、ブラック企業からの労働者の自然退出も行われる。必要な労働者の確保が難しい中に置かれると、企業は労働者に簡単に逃げられないように快適な労働環境の整備も行うだろうし、省力化を図るために設備投資を増やしていくことになる。そしてこうした設備投資の増加はそのまま経済成長につながる。こうした仕組みが適切に機能することで、マーケットが順調に大きくなっていくのであれば、総資本はそこから利益を得られる上、ブラック企業は淘汰されていくというプロセスが働く。こうした機構を働かすことができる仕組みを、先進資本主義国は制度として整えることもできるのだ。

 こうして見てみると、資本主義が独占段階に到達すると、世界の植民地再分割を求める世界戦争を必然とするという捉え方は、事実とはまるで一致していないことがわかる。

 確かに資本主義が発達して近代産業社会が成立すれば、封建制度の社会とは必要となる資源の種類も量も格段に増えていくだろう。石油、石炭、鉄、アルミなどだけでなく、近年ではレアメタルと呼ばれる希少金属までもが必要となった。そしてそれらが必要とされる量も産業が進展するに従って膨大になっていった。だから、資本主義の発展によってこうした資源の膨大な入手が必要になったとは言えるし、一般にこうした資源をすべて国内だけで自給することは不可能になるわけで、この話を資源の入手先としての植民地の確保と結びつける議論は確かに可能だろう。だが、そのような資本主義が社会主義に転換したら、こうした資源の入手は必要なくなるのかといえば、そんなわけは当然ない。高度な産業を維持・発展させようとすれば、社会体制が資本主義であれ社会主義であれ、多種多様な資源を膨大に必要とすることには変わりはないのだ。つまり、資本主義は植民地を絶対的に必要とする邪悪な体制であるのに対して、社会主義はそうではない平和な体制であるというのは事実にまるでそぐわない議論だということになる。そしてまともなマーケットメカニズムが世界中で作動するようになり、こうした資源を必要な時に必要なだけ安心して入手できる制度が確立しているのであれば、植民地という仕組みはもはや必要ないとも言える。戦後の日本の経済成長は、こうした条件が確保された中で、つまり必要な資源を必要なだけ外国から輸入できる条件が整った結果として実現したものだ。

 資本主義が独占段階に到達すると、世界の植民地再分割を求める世界戦争を必然とするという捉え方は、「資本主義国家=絶対悪」というマルクス主義的な決めつけを無意識のうちに定着させようという、マルクス主義の側からのプロパガンダに他ならないのが実際だ。(レーニンが書いた「帝国主義論」に立脚している捉え方だからレーニン主義的な政治宣伝だと言ったほうがよいかもしれない。)そしてその「資本主義国家=絶対悪」という決め付けと植民地の分捕り合戦の負のイメージの親和性が強いから、なんとなくそれが真実であるかのように一般に受け入れてしまったにすぎない。

 もちろん「資本主義国家=絶対善」も成り立たない。私たちは国家というものをまずは善悪の単純な色分けを排して多面的に見ていく必要がある。そしてそれこそ本来唯物論的=科学的な国家観なのではないだろうか。

 現代の先進資本主義国においては、国民の生活水準というものに対して国家は無関心ではいられないあり方になっている。国民の生活水準に対して無関心でいては、選挙ではなかなか勝てないだろう。日本では、マルクス主義からすればブルジョワの利益を代表するはずの総理大臣が、労働者=プロレタリアートの大幅な賃上げを財界=ブルジョワに対して要請するということまで現実に起こっている。総理大臣が国家・国民の利益を代表しようとする場合、それは結果として総資本の利益をも代弁することになっているということがわかれば、全然おかしなことではないことがわかるのだが、そういう発想をマルクス主義者はなかなか理解できないであろう。

 さらに言えば、「国民のため」と「総資本のため」は実質的にはほぼ同義だ。もちろん矛盾することが全くないわけではない。移民を増やすことは賃金の上昇を抑えられる点で総資本の側では歓迎かもしれないが、国民一人ひとりの生活水準の向上にはつながらないから国民のためにはならない。こういう矛盾は確かにないわけではないが、こうしたものを例外とすれば、この2つはほぼ同義と見做してよいのが実際だ。例えば安価で高速で使い勝手のよい交通システムの整備は、総資本の側でも国民の側でも大歓迎だろう。良質な生活習慣を確立し、ひとのことを思いやって協力的態度を好み、知的レベルの高い人たちを量産することも、総資本の側でも国民の側でも大歓迎だろう。国内の治安がよく、夜中に1人で外出しても危険な目に遭うことがめったに起こらない社会も、総資本の側でも国民の側でも大歓迎だろう。なるべく安価にエネルギーが利用できるということも、総資本の側でも国民の側でも大歓迎だろう。良質な人的資本や社会資本の整備は、総資本の側でも国民の側でも歓迎されるものであって、矛盾するものではない。現代の先進資本主義国(先進民主主義国)を如何ともしがたい階級対立を前提に捉えようとする思考が、非科学的=観念論的なのである。

 そもそも現代の成熟した国家においては為政者の思いのままに政治が動かせる訳ではない。政権与党側が自分たちが正しいと思うことであったとしても、議会制民主主義という縛りがある以上、次から次に容易に実現できるわけでもない。仮に与党が議会の2/3以上の絶対多数を握っていても、単純な多数決だけで決めているわけではないから、与党側が絶対に必要だと認めている政策でも現実には遅々として実現しないことも多い。繰り返しになるが、こうした現実の国家像を単純なブルジョワ支配の国家として捉える視点だけで見ることは唯物論的=科学的な捉え方では断じてないだろう。

 こういう点からもマルクス主義によるモノの見方が、実は唯物論なのではなくて、実際には現実から切り離された観念論であることがわかる。

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