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近衛文麿と昭和研究会



 尾崎秀実はレーニンの敗戦革命論に基づいた戦略に日本を誘導するのに大きな役割を果たしたわけだが、近衛文麿はそうした尾崎の本来の素性に気づかぬまま、中国専門家として尾崎をたまたま重用したのだろうか。どうもそうではないようだ。

 近衛は京都帝国大学の出身だが、一高生の時にすでに高名なマルクス経済学者として知られていた河上肇京大教授に憧れていて、京大進学を望んでいた形跡がある。実際に近衛は京大で河上教授の薫陶を受けたばかりか、オスカー・ワイルドの書いた「社会主義下の人間の魂」の翻訳を行い、「社会主義論」という表題で雑誌「新思潮」に発表している。こうした来歴を見て行けば、近衛文麿に社会主義的な傾向があったとしても、何ら驚くことではないだろう。そしてそうであるからこそ、近衛は尾崎と波長が合い、尾崎を自らのブレインに据えたと考えた方が辻褄が合う。

 昭和研究会には例えば風見章という人物もいた。風見は信濃毎日新聞の主筆をつとめた後、衆議院議員にもなった人物だ。信濃毎日には「マルクスに付いて」との12回にわたる連載記事を書いていたこともある。そのうち6回はマルクスとエンゲルスの共著である「共産党宣言」についての紹介だった。風見はこの中で「この宣言書は実に重大なる意義を歴史的に持つものである。その重要さはどんな言葉を用いても誇大とはならぬほどのものである。それは実にヨーロッパ社会史、といわんよりも世界社会史、人類社会史上に新しい出発点を与えたものであった。労働者たちをして、最初にまず彼らの持つ所の歴史的使命と、その尊厳さとを、感得せしめたのは、実にこの宣言だったのである」と、共産党宣言に最大級の賛辞を送っている。

 風見章は日記を残しており、この日記は2008年になって出版された。この中で風見は以下のように書いている。

 わたしは、近衛氏と、ふたりきりになったおり、時局のみとおしを語りあったが、近衛氏も日華事変がのんべんだらりとひきのばされてゆけば、厭戦気分の爆発から、革命は必至の勢いであることを認めていた。そして、そうなると、皇室の運命はどうなるだろうかと心配げにいいだしたので、わたしが、徳富蘆花の『みみずのたはこと』に出てくるひとくさりを例にあげて、国民の皇室に対する関心はみかけほどのものではなかろうと指摘し、したがっていざ革命ともなれば、皇室の運命はどうなるか、わかったものではないとこたえると、近衛氏は『ツァーの二の舞ではこまるなあ』と顔をくもらした。それからしばし沈思黙考の態であったが、やがていとも沈痛な口調で、ひとりごとのように、『ぼくとしては、どうなろうとも、皇室と運命をともにしなければならない』と、もらしていた。

 風見も近衛もともにマルクス主義をよく理解する者であり、レーニンの敗戦革命論も十分に理解していた。そしてこの戦争によって国家が疲弊すれば、この日本においても革命が起きる可能性が高いことを二人とも充分に認識していたことが、この二人のやりとりからわかる。

 なお、風見は戦後の昭和26年に雑誌「改造」に「尾崎秀実評伝ー殉教者への挽歌」という記事を載せている。その中で風見は「尾崎秀実とゾルゲは国家による虐殺行為で殺された」「わが尾崎が、絞首台に運べる足音は、天皇制政権に向かって、弔いの鐘の響きであり、同時に、新しい時代へと、この民族を導くべき進軍ラッパではなかったか、どうか。解答は急がずともよかろう。歴史がまもなく、正しい判決を下してくれるにちがいない」と述べ、マルクス主義の殉教者として尾崎を高く評価している。

 風見は第一次近衛内閣で内閣書記官長(現在の内閣官房長官に相当する役職)に就任している。これを新聞は一様に「野人政治家の大抜擢」という感じで好意的に取り上げた。過去の風見の論説から見て、国家を滅亡に導く危険な共産主義者の可能性はないかという疑義を提出されたりはしなかった。当時のマスコミには今以上にマルクス主義にシンパシーを持つ人たちが多くいて、自分たちと思想傾向の似ている風見の抜擢をむしろ歓迎していたからだ。

 近衛や尾崎や風見が、少なくとも今日の基準から見ればとんでもない考えの持ち主だったことは疑いようがないが、マルクス・レーニン主義が席巻していた当時の思想状況からすれば、彼らだけが特殊だったわけでもないのである。政界にも官界にも軍部にもマスコミにもマルクス・レーニン主義に対してシンパシーを感じる人たちはそれこそ山のようにいたのだ。

 戦前の日本において、どうして軍部の暴走を止められなかったのかという問いかけがなされることがある。ところが実際の経緯を見ていくと、軍部が抑制気味に動こうとしているのに対して、マスコミに影響された世論や政治の方が逆に強硬な姿勢に出ている場合も多いのだ。そしてその背景には、レーニンの敗戦革命論を信じ、資本主義国家を互いに戦争させることによって世界革命を実現でき、それによって人類は本当に幸せになれると考えた人たちが数多く存在したことを見失うべきではない。そうした人たちが組織的な計画に基いて動いたとまでは言えないが、その方向に歴史を動かそうとそれぞれの立場で動いたことが、結果的にあの悲惨な戦争につながったと見る方が、歴史的には正しいのではないかと思われるのだ。

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