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農業を例に「弱者」保護の是非を考える



 左翼は弱者の味方という立場を取るわけだが、これ自体は非難されるべきことではない。力のある者がその力を利用して弱者に負担を強いるようなことをしているのを見て憤るのは当然の感情の発露だと思う。「長いものには巻かれろ」的な風潮から、強者の横暴が世間的には見過ごされやすい中で、それに立ち向かう勇気を持つというのは立派なことでもある。自分がかつて左翼的な立場を善だとみなしていたのも、こういう正義感からだったし、今でもそのような弱者保護の視点は大切なものだと思っている。

 ただもう一方で、本当は弱者ではない人間が自分の立場を有利にするために弱者を装って登場するといったケースもある。要するに被害者ぶることで自分の立場を有利にしようとするといったことだ。弱者の味方をしようという正義感も大切だが、こうしたことに対する警戒心ももう一方で大切になる。だが左翼の側は、こういう警戒心をあまり持たないまま議論を進めることが多い。その結果、感情を排してまずは事実を丹念に見るという真に唯物論的なアプローチを放棄して、自分が解釈したい側面だけで現実を捉えることになるのだ。

 一例として農業について考えよう。左翼の主張は以下のようなものだということができるだろう。「日本の農業は一般に規模が小さい貧農によって担われており、年々高齢化が進むことでその深刻の度をさらに深めている。この状態の中で高い関税をなくして外国の農産物との価格競争に晒すとすれば、日本の農業は壊滅的な打撃を被る。製造業のメリットのために農業に犠牲を強いるようなやり方は正しい産業政策とはいえない。」

 「強者」である製造業のために「弱者」である農民、特に貧農に大きなしわ寄せをもたらすような農業政策は正しくないというのは、庶民的な正義感からは当然のことのように思われる。そして左翼はこのこと自体に満足してしまい、ここから先の具体的な事実を丁寧に追いかけていくという、本来唯物論的に見て欠かすことのできないアプローチを踏んでいないのだ。

 耕作面積が10aの零細なコメ農家を考えてみよう。10aの耕地面積の場合、年間の収量が600kgになることはまずないが、600kgだと計算しやすいので、仮に600kgだとしよう。コメ1俵(60kg)の販売価格が14000円だとすると、売り上げは14万円となる。お米は普通年に1回作るだけであるから、年間の売り上げが14万円ということになる。しかもコストも色々と掛かっているので、これ自体がそのまま農家の手取りになるわけではない。農林水産省によると、耕地面積が50a未満の場合、10aあたりの全算入生産費は20万円を超えている。売り上げは14万円なのに、コストは20万円を超えているとすれば、これは完全に赤字だ。全算入生産費には地代や労賃の存在が前提として計算されているので、これがそのまま実際にかかるコストになるわけではないが、それにしてもこうした規模の農家がそれでも農業をやめないのは、実に不思議な話である。こうした規模では農業はビジネスとしては全く考えられないからだ。

 ちなみに、耕作面積が1haから2haあるコメ農家の10aあたりの全算入生産費でも14万円を超えているから、この規模の農家でもビジネスとしては成立していないことになる。売り上げだけで見ても、2haの耕地面積のコメ農家ではせいぜい年間280万円にしかならないから、ビジネスとして成立する規模にはそもそも達していないのだ。

 商売としては成立しているはずがないのにこうした小農たちが農業をやめないのは、ビジネス以外の部分で農業を続けた方がメリットがあるということを意味している。それは一体何かと追及することが社会科学的には正しいアプローチだということになるはずだが、なぜかこうした部分について突っ込んだ議論が展開されることはほとんどない。だからこの不思議を解き明かすカラクリがわかる人はほとんどいないと言ってよい。

 普段はサラリーマンとして生活しながら、週末だけ家庭菜園を楽しむ程度に農業を行っている人が「兼業農家」としてカウントされている。サラリーマンを定年退職した後に家庭菜園程度のことを農業として行っている人が「専業農家」としてカウントされている。専業農家のはずなのに耕作面積が意外と狭いところが多いのには、そういう事情が関係している。

 彼らは「農家」であることで様々なメリットを享受している。農地には固定資産税はほとんど掛からないし、相続税も実質的には免除されている。にもかかわらず、農地を農地以外の用途(例えば住宅地)で転売した時には莫大な利益が上げられる。自宅の電気でも「農事用電力」だということにすると、電気代は半分以下に減る。経費の認定が緩く、農業で赤字が出ているということにすれば、確定申告することでサラリーマンとして支払った税金を取り返すことができる。農家というだけで様々な補助金や補償を手にすることができる、などなどだ。こうしたメリットを享受するために、「農家」という資格を手放さない人が多いのであって、こうした人たちは農業をビジネスとして必死に生きようとしているわけではない。

 こうした「零細な農家」を保護しないと、日本の農業は本当に立ちいかなくなるのだろうか。農業をビジネスとしてしっかり成り立たせていこうとするもっと規模の大きな農家に農地が集約されていった方が、日本の農業にとっても日本の農地にとっても良いことではないかと私には感じられる。

 私は農業は保護するに値しないと言っているわけではない。農業保護も農地保護も大切である。国内の農業を簡単に外国勢力に明け渡すのは正しい政策ではない。だからビジネスとして農業を成り立たせようと努力している農家を保護すればよいのであって、逆にいえばそうではない農家には農業からの退出を促し、こうした農家の持つ土地をやる気の高いビジネス系の農家の耕作地として集約していくような政策の方が適切だと考えるわけだ。ビジネスとして成り立つ農業を国内で育てていかないといけないし、農地を転用して転売することで莫大な利益が上げられるような制度には大きな修正が必要になると考えるのだ。

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