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社会主義思想が浸透したアメリカ(1)



 「ヴェノナ」という言葉を聞いたことがあるだろうか。「ヴェノナ文書」とか「ヴェノナファイル」という場合もある。ヴェノナとは、1943年に米陸軍が開始したソ連の暗号通信の傍受・解読作戦のことだ。解読後の文書のことをいう場合もある。第二次世界大戦においてアメリカを蚊帳の外に置いたまま独ソ両国が単独講和に踏み切るのではないかとの疑いをアメリカが持ち、ソ連の暗号の通信傍受を開始したということになっている。アメリカが傍受できた通信は数十万通あったようだが、ソ連側が通信1回ごとに暗号キーを変えていたためにその解読には手こずり、最終的に解読できたのはわずかに2900通にすぎなかった。ソビエト・ロシアの実際の姿に幻滅して、あるいはいつ粛清されるかわからないその体制に怯えて、戦後にソ連の諜報関係者がアメリカに相次いで亡命したりしてきた。アメリカ人スパイの一部もFBIに自白してきたことから、2900通の中で語られるコードネームが誰のことなのかがだんだんとわかるようになり、指し示す具体的内容が掴めてきた。それでもソ連の暗号解読の手の内をソ連に知らせるのは国益に沿わないという理由でヴェノナの存在は秘匿され続けた。ソ連が崩壊した後に旧ソ連の機密情報が公開されるようになり、ヴェノナで解析した内容を裏付ける史料が見つかった。ソ連の崩壊によってヴェノナを秘匿しておく必要性も薄れたことから、1995年にようやく公開されるに至ったものだ。ヴェノナは謀略的なデッチ上げ文書の類いではなく、アメリカ政府が正式に公開しているファイルだという点を押さえておいてもらいたい。

 第二次世界大戦後にアメリカではマッカーシー上院議員を中心に「マッカーシズム」とも呼ばれる赤狩り(政府内外にいる共産主義者を摘発して糾弾する運動)が行われたが、その根拠がFBIの盗聴記録であったために裁判上証拠にすることができなかった。また陸軍をも調査対象に加えたために陸軍出身のアイゼンハワー大統領の怒りを買ってしまった。そのためにマッカーシーは政治的影響力を失い、マッカーシーのやっていることは根拠のない魔女狩りだと判定されてしまった。このような認識で一旦は決着がついたかに見えた。

 だが、ヴェノナの解析が進むと、実際のソ連のスパイの浸透度はマッカーシーの主張よりも規模が大きいことがわかってきた。解読できたヴェノナ文書はごくごく一部だったわけだが、それでも300名以上のアメリカ人エージェントがソ連のスパイ活動に参加していたことが明らかになった。実際のエージェントの数はもっと多かったと考えるのが自然だろう。第二次大戦後にカナダに亡命したソ連の大使館員だったイーゴリ・グゼンコの証言によれば、1700名に及ぶエージェントがアメリカとカナダで活動しているとのことだったし、米下院に設けられた非米活動委員会委員長のマーティン・ディースによれば、連邦政府内に2000名以上の明白な共産主義者がいるとのことだった。

 当時のアメリカ人が続々とソビエト・ロシアのスパイになっていったのは、必ずしもロシアから金をもらっていたからとかハニートラップに引っかかったからではない。日本の場合と同様に、ソビエト・ロシアに理想的な社会が出現したと思い込み、共産主義の思想に共鳴していた人たちが当時のアメリカにも沢山いたわけだ。日本の場合と同様に、大学内に左翼思想が広がり、優秀な若者の中に共産主義に共鳴する人たちが増えていった。特に1929年から始まった世界大恐慌がアメリカに限らず資本主義国全般を長期間苦しませている中で、ソ連が1928年から開始した第一次5カ年計画が世界大恐慌の影響を受けることなく大成功を収めていると考えられていたから、野放図な資本主義よりも計画性をもって経済を構築する社会主義の方が正しいのではないかという考え方が広がったわけだ。こうした時代背景の中で、ソビエト・ロシアが自国の味方をしてくれるスパイ候補を見つけるのは難しいことではなかっただろう。

 共産主義者ではなくても、共産主義の考えにも一理あるのではないかと感じることは、当時の時代の空気としてあったことは想像に難くない。世界大恐慌が発生した時のアメリカ大統領はハーバート・フーヴァーだが、ひょっとしたら彼もその一人だったのかもしれない。(彼はもともと心やさしい人道主義者だから、その点から剥き出しの弱肉強食型の資本主義に対する反発心を元来持っていただけなのかもしれないが、いずれにせよ、大恐慌の発生に対して歴代の大統領が行わなかったようなレベルで人道的に対応しようとした。)フーヴァー大統領についてはマーケットメカニズムと均衡財政主義の単純な信奉者で、積極的な恐慌対策を打たなかったのように誤解されがちだが、実情は全く違う。

 世界大恐慌は1929年10月24日のウォール街の株価大暴落に始まるが、当初はここまで破滅的な影響力を持つとは一般には考えられていなかった。だがフーヴァーは、世間の思い込みとは裏腹に、割と迅速にいろんな手を打っていた。

 株価大暴落の翌月の1929年11月には、主導的な金融業者や実業家をホワイトハウスに次々と集めて、この危機的な局面への対応として、安易に従業員の首を切ったり賃金カットをしたりせず、投資支出も維持するようにフーヴァーは要請した。こうした要請に対して、実業界の反応は概ね好意的で、フォード自動車を創業したヘンリー・フォードはかえって賃金の引き上げまで約束しているほどだ。翌12月にはこうした実業家のグループに対してフーヴァーは以下のように謝意を述べている。

 (あなた方の同意は)実業界の公共の福祉への関係についての考え方全般に見られる大きな進歩である。あなた方は合衆国の実業界を代表しており、あなた方自身の自発的な行為によって、この国の経済生活の安定と進歩に向け、決定的に貢献するものと理解されるものである。

 1930年7月から始まる新しい会計年度では、年間で36億ドルの連邦政府の歳出を認めている。これは前年度より3億ドル、つまり10%ほど増やしているのだ。税収が大幅に落ち込むことが予想される中で大幅な歳出増を認めたということは、政府財政の大幅な赤字を容認したということになる。1931年6月に始まる会計年度ではさらなる税収減が予想される中で、47億ドルまで歳出を増やしている。前年度比30%の大幅な歳出増である。
 
 確かにフーヴァーは大恐慌がどんどんと深化している1932年に、所得税の最低税率を1.5%から4%に、最高税率を25%から63%に劇的に引き上げる大増税を行うという決定的なミスを引き起こしているが、これは政府支出を思い切って拡大しても経済回復が見られず、歳入と歳出のバランスが大きく崩れてしまったことに対する危機感から行ったことだ。主として富裕層に負担が重くのしかかる累進税制の強化策として実行していた。

 以上見たように、フーヴァー大統領はマーケットメカニズムに人道主義的に介入することで、企業や大金持ちに大きな負担を掛けながら、事態が労働者をはじめとする社会的弱者に対してなるべく破壊的に進んでいかないように意図した政策を実行していた。政府主導による積極的な経済への介入をフーヴァー大統領が行ったのは、彼の中にも共産主義的な「野放しの資本主義は社会全体としては無計画的で破壊的な作用を果たすことがある」との問題意識があったからではないかと推察される。

 実に皮肉な話だが、1932年の大統領選挙でフーヴァーに勝利したフランクリン・ルーズベルトは、フーヴァーの財政政策を無駄遣いだと徹底的にこき下ろし、緊縮財政への転換を主張して当選を果たしたというのが歴史上の真実である。そんなフランクリン・ルーズベルトがニューディール政策という空前の積極財政政策を行ったことで有名になっているのも、また歴史上の皮肉だろう。そして、フランクリン・ルーズベルトはフーヴァーとは比較にならないくらいに共産主義的な考え方に対する理解があった。

 フランクリン・ルーズベルトについては、次回にもう少し詳しく見ていくことにしたい。

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