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社会主義思想が浸透したアメリカ(4)



 ソビエト・ロシアが誕生した1917年からルーズベルトが政権に就く1933年まで、アメリカではウィルソン、ハーディング、クーリッジ、フーバーの4人の大統領が登場したが、誰一人としてソビエト・ロシアを国家として承認しようとはしなかった。クーデター的な手法を駆使して謀略的に政権を奪取したその過程が嫌われたのは当然であるが、それだけではない。ソ連はロマノフ朝を引き継いでロシアを統治するようになったにも関わらず、ロマノフ朝時代に外国から借り入れた借金の支払いを自らが借り入れたものではないとして拒絶したのだ。ロマノフ朝時代だけではない。帝政ロシア崩壊後にボルシェビキによる革命が成立するまで続いた臨時政府が外国から借り入れた借金の支払いをも拒絶したのだ。さらに外国人がロシア国内に持っていた財産を勝手に接収することまで行ってしまった。完全な盗人なのであって、このようなものを国家承認しなかったのはある意味当然かもしれない。

 ロシア共産党としてはこうしたソ連に向けられる不信感を変えることはどうしても必要だった。そもそも国内であらゆる製品を作り出すことができない以上貿易は必須であったが、国際金融から締め出されては貿易を行うことはままならなかった。そこでロシアは今後の借款について金利を大幅に引き上げることに同意することで、国際金融の利用を再開させる方針を打ち出した。

 金融の問題に目処がついても、それだけでは国家承認をするのは難しいという判断がアメリカにはあった。ソビエト共産党は世界各国に散らばる共産主義者を利用してそれぞれの国家に動揺を与える工作を様々に展開していた。一例としてフランスとベルギーによるルール占領の時の話をあげておこう。

 ルールとはドイツの石炭の7割を産出したドイツ資源の宝庫であり、掘り出した石炭を利用した製鉄業も発達した工業の中心地でもあった地方のことだ。ルールはドイツの鉄鋼の8割を産出していたから、まさにドイツ経済の心臓部だった。第一次世界大戦での敗北を受けて、ドイツはフランスとベルギーに対して多額の賠償金の他に大量の石炭の無償提供も義務とされていたが、ドイツにはこのノルマは過酷すぎた。ドイツが義務を果たさない(果たせない)ことから、フランスとベルギーがルール地方に軍を送ってこの地方を占拠したのがルール占領である。当然ながら、このルール占領は大混乱をもたらした。経済の心臓部を奪われれば、ドイツ経済は当然回らなくなる。有名なドイツのハイパーインフレーションはこの混乱が引き金となって起こったものだ。そしてこうした混乱に乗じて活動するのが共産主義者の常套手段なのであって、ソ連はコミンテルンを通じてドイツ共産党にこのタイミングを利用して武装蜂起による共産主義革命を行うように指示を出していた。共産党の怪しい動きに警戒をしていた社会民主党の対応によって、この武装蜂起は中途半端な状態で失敗したが、こうした外国への介入を行うソ連に対して警戒心を持つのは決しておかしなことではないだろう。

 米下院は1930年に共産主義者のアメリカでの工作の実際を調査する委員会を設置した。この委員会はこの委員会設置の提案者で委員長にもなったハミルトン・フィッシュの名前から「フィッシュ委員会」とも呼ばれている。同委員会は共産主義者の活動を明らかにした報告書を出し、司法省が共産主義者の調査を強化し、共産主義者のアメリカへの入国をできる限り防ぐために、入国制限や国外退去の仕組みを強化することを提言した。

 さて、ここでウォルター・デュランティという親ソ派のジャーナリストの話をしたい。全盛期には誰もが一目置くような大物ジャーナリストで、日本人でいえばかつての本多勝一のような感じだったと思えばわかりやすいかもしれない。デュランティはニューヨークタイムズのモスクワ支局の記者で、ソ連のことならなんでも知っているトップジャーナリストであると思われていた。ソ連をヨイショしまくる記事を書き続けることによって、スターリンにも簡単に会うことができるなど、ジャーナリストとして様々な便宜をソ連から得ていた。彼はスターリンを「生きている中で最高の政治家」だと称え、自分がソ連で過ごした時間は「人間性のある暮らしの中の輝かしい一章(a heroic chapter in the life of humanity)となった」と評していた。このようにデュランティはソ連とはズブズブの関係にあった。

 彼についてはどうしても触れておきたい話がある。それは1932年から1933年にかけてウクライナを襲ったホロドモールと一般には呼ばれる人工的な大飢饉のことだ。「人工的な大飢饉」とはどういう意味かと首を傾げたくなるかもしれないが、輸入代金を賄うだけの小麦の輸出を確保するために、スターリンがウクライナの農民から強制的に小麦を取り上げて飢餓状態に置いたという意味である。スターリンは国土近代化を急ぎ、近代工業に必要な機械を大量に購入することにした。だがそのための必要な資金は簡単に賄うことができなかったため、ウクライナの農民からの小麦の徴発を過酷に行ったのだ。要するに国力的には無茶なスピードで近代化に取り組もうとしたために、ウクライナ農民の多くを餓死に追いやったという話だ。この時の犠牲者数は諸説あり、200万人から1450万人とされているが、美人政治家として知られ、ウクライナの首相にもなったユリア・ティモシェンコによれば、餓死者が約400万人、生まれることのなかった胎児の犠牲者が600万人だそうだ。当時デュランティはこのホロドモールの悲劇を完全否定し、これを報じた他のジャーナリストを嘘つきだと非難した。デュランティはスターリンに騙されていただけなのかもしれないが、それでも真理を追求するジャーナリストとしては明らかに失格と言わざるをえない。なおデュランティはソ連に関するウソ記事を高く評価されてピューリッツァー賞を取っているが、未だに剥奪されていない。こんなことを放置しているのはジャーナリズムの恥ではないかと思うのだが、マスコミ界への左翼勢力の浸透は今日でも相変わらずなのだろう。

 このデュランティがニューヨークに一時帰国した際に、当時ニューヨーク州知事だったルーズベルトは彼を招き、彼からソビエト・ロシアの「実情」を色々と教えてもらったことがある。ロシアのことを誰よりも知っていると思われたトップジャーナリストがソ連に関する否定的な噂は全部嘘っぱちだと否定し、ソ連に警戒を抱く人たちは完全な偏見でソ連を見ているのだと述べていたとすれば、ルーズベルトがこれによって「真実」を知ったつもりになったとしても不思議ではない。彼が共産主義に対して極めて甘くなったきっかけはここにあったのかもしれない。

ついでに言えば、共産主義に対する警戒心をなくし、ソ連にならった経済の計画化の必要性を感じたルーズベルトの周りには左翼的な人材が集まるようになり、ルーズベルトは親ソ・容共的な意見に絶えず触れるようになった。その中にはソ連のエージェントや共産党員が多く含まれていて、その影響を受けてルーズベルトはますます共産主義に対する警戒心を持たなくなったとも考えられる。デュランティの話を聞いたことがルーズベルトがソ連を国家承認する後押しする一助となったのは、恐らく間違いないだろう。

 大恐慌によって苦しむアメリカの経済界もソ連との貿易を望んでいた。ソ連の工業化にはアメリカの生産材(機械類)が必要になるだろうし、アメリカの農産物も大量に買ってもらえるだろう。ソ連の国家承認には大恐慌を背景とした経済界の後押しもあったのだ。

 ユダヤ系の金融資本もソ連の国家承認を求めていた。帝政ロシアは「ポグロム」と呼ばれる壮絶なユダヤ人迫害を行っていたので、帝政ロシアに対抗する革命勢力をユダヤ系の金融資本は支援していた。日露戦争で日本が帝政ロシアに勝利できた陰には、帝政ロシアを憎むユダヤ系の金融資本が日本の戦費調達の支援を強力にしてくれたことがあったが、それと同じ構図だと思えばよい。貸し付けた資金を回収するためには、ソ連の順調な成長がユダヤ系の金融資本の立場としても望まれたわけだ。ニューヨーク州知事だったルーズベルトには、当然ウォール街との強い結びつきができていたから、ユダヤ系金融資本の意向も強い影響力を持っていただろう。

 さらに、国家承認に関してソ連代表のマクシム・リトヴィノフ外務委員は次のようにルーズベルトに約束した。

 アメリカ合衆国の内政には一切関与しない。アメリカ合衆国の平穏、繁栄、秩序、安全を傷つける行為やアジテーション、プロパガンダを一切しない、そしてさせない。アメリカ合衆国の領土および所有する権利を侵したり、政治的変化をもたらし社会秩序を乱すような行為はしないし、させない。アメリカ政府を転覆させたり、社会秩序を混乱させる目的を持つ団体や組織を作るようなことはしない。

 リトヴィノフのこうした発言に反発したアメリカ共産党の幹部もいたが、リトヴィノフは「心配無用だ。あんな調印文書は紙切れ同然だ。ソビエトとアメリカの外交関係の現実の中ですぐに忘れられる」と語っている。そして実際、ルーズベルトによるソ連の国家承認によって、ソ連系の政府機関も民間組織もアメリカ国内にたくさん設立されることになった。つまり、アメリカへのソ連の干渉は強まりこそすれ、弱まることはなかった。フーバー大統領の回想録によれば、アメリカがソ連を1933年に国家として承認してから、共産主義のフロント組織はアメリカ国内に1000も作られたそうである。黒人差別に反対する団体、貧しい移民を支援する団体、女性の地位向上を求める団体、平和を求める団体など、一見共産主義ともロシアともなんの関係もないように見える「善意」の団体が実は共産主義者に主導され、その影響力拡大のための工作活動に使われるようになっていたわけだ。

 共産主義への警戒心を全く持たなくなったルーズベルト大統領のもとで、アメリカに共産主義が密かに浸透する基盤が築かれたと言ってよいだろう。ちなみにアメリカ政府内に大量のソ連のスパイがいることは国務次官補だったバールを通じて1939年9月にルーズベルトに報告されている。

 この経緯をもう少し詳しく説明しておきたい。米政府内部に送り込まれたスパイからの情報をまとめてソ連に送る役割を担っていたチェンバースという男がいた。彼はアメリカ共産党員だった。バールは知り合いのジャーナリストを通じてチェンバースと面会し、政府内に潜むスパイの具体的な名前も彼から聞かされていた。

 チェンバースがバールに接触を図ってきたのにはもちろん事情がある。スターリンの粛清がアメリカにいるメンバーにも及んできたことから、チェンバースは自分の身も危うくなることを懸念し、共産党を裏切ったわけだ。

 だがチェンバースから聞いた話を語るバールに対してルーズベルトは「湖に飛び込んで頭を冷やせ(go jump in a lake)」「そんなことは忘れろ(forget about it)」と言って、全く相手にしなかった。ルーズベルトはそこまで親ソ・容共的になっていたのである。

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